見守る保育の基礎

なぜ見守る保育なのか?

なぜ見守る保育なのか?

最近の脳科学の研究によって、赤ちゃんは生まれながらにして、実にさまざまな能力をもっている、ということが明らかになってきました。

わたしたち人間はだれしも、自分がどんな環境の下に、あるいはどんな障がいをもって生まれてくるのかを選ぶことができません。 

だからどんな環境にも、どんな障がいにもできる限り適応して生き延び ることができるよう、初めからさまざまな能力を備えているのではな いかと考えられています。

 また、もうひとつの説では、最初に備えら れているさまざまな能力を少しずつ削っていったほうが効果的であ あるのではないかとも考えられています。 

これまでは世間一般にも保育の世界にも、子どもは何も描かれて いない真っ白なキャンバスで、そこにさまざまな色や形の線を引いて いくことが育児であり、教育である、という考え方がありました。

しかし、赤ちゃんは白紙の存在ではない、とわたしは思うのです。

生き物は、自分たちの遺伝子を子孫に残していく能力を生まれな がらにもっています。ひとりの赤ちゃんが生まれ、成長し、子孫を残 すまでには、さまざまな困難が待ち受けています。 

しかし、それを自 ら乗り越えることによって、人類は生き延びてきたはずです。 

また、最近の研究では、人は生まれながらにして能動的な生き物で あるともいわれています。赤ちゃんは受動的な生き物で、 自分では何 もできない、何も知らないから、周囲の人がやってあげなければなら ないということではないようです。

わたしたちは、もって生まれたさ まざまな能力のうち、必要でないものや、ほかの競合する能力を次第 に失う一方で、生きていくのに必要な能力は、より高度に研ぎ澄ましいくのです。だから、ある意味では、子どもが上手にさまざまな能 力を減らしていく手伝いをすることが、育児だといってもいいのかも しれません。 つまり、わたしたち保育者の役割は、子どもという真っ白なキャン バスに線を引くことではないのです。

 さまざまな色、 さまざまな線が 交じり合った複雑な絵のなかから、 子ども自身がそのときに応じた 必要な色を引き出し、余分なものを消していく、 その手伝いをする役 割を担っています。 そもそも、エデュケーション (教育) という英語の 語源は、「引き出す」 ということからきているのです。

 何もできない子どもに教えたり、与えたりするのではなく、子ども が本来もっている能力を信じて「引き出し」、それを「はぐくむ」。

 それがMIMAMORU一見守る保育の考え方であり、 教育の本来の姿を 具現化する重要なアプローチであると思うのです。

参考文献:MIMAMORU見守る保育 藤森平司 著